花さかじいさん友の会が目指すこと
設立者の想い 街づくりの取組み

設立者の想い

第三次産業では何をすべきか

私の職業は倉庫業です。倉庫は物を保管する場所です。そして、
同時に「時代の保管」という側面もあります。

第一次産業であれば、穀物保管のための石倉倉庫、二次産業は工業製品のための大きな空間で、リフトが走り回る倉庫となります。

次の第三次産業の情報(ソフト)はどの様な保管がされるのか見当がつきませんでした。
40年以上前になりますが、「未来の産業」「三次産業」という勉強会にはよく参加しましたが、よくわかりませんでした。

ある所では、未来は零細企業でもエンドユーザー主義の理解、また情報発信ができなければ生き残れない、アメリカは既に三次産業に入りつつありますと聞きました。物事の選択は、消費者がするそうです。(後日知ったことですがアマゾンなど通販がそれにあたります。)

また、ある所ではネットワークとプロフェッショナルの時代。バーチャル組織のネットワーク、そして50歳前後からのプロフェッショナルの時代と言われました。

違う所では「一次産業は聞けばわかる。二次産業は見ればわかる。しかし三次産業は体験しなければわからない」とも言われました。

子どもたちと母親が海外で暮らした理由

ちょうど35年ほど前ですが、青年会議所(JC)の役員をしていた時に、シンガポールでJCのアジア大会ありました。そこで北海道の一村一品運動を実行するための打ち合わせに行ってきました。担当のレディースJCの打ち合わせも終わり、親睦会会場で男女が別々に左右の壁ぎわでの会食となりました。レディースJCの方から指をさされて笑われたので、通訳になぜ笑っているのかを確かめさせたら、彼女たちは、地域のオピニオンリーダーが英語をできないのがおかしいとのことでした。シンガポールのレディースJCを調べたら親の七光りではなく、皆さんの実力で企業の役員または企業経営者になったということです。
そのみなさんに共通していたことは、4~5歳から母親と一緒に海外で生活をしたことです。父親は現地で働き送金しているというのです。
そのため私も、1991年にロザンゼルスの北25㎞にある、100年以上前から教育の町であるアーケディア市に自宅を移しました。6人の子ども(下は2歳から上は12歳)と母親はアーケディア市で暮らし、私は逆単身赴任で、札幌で仕事をしながら、家族に仕送りしており、年に7~8回家族のもとに通いました。

第三次産業の国で見たいこと

1990年にアメリカは既に三次産業の国になっており、驚いたのは、物ももちろん情報もすべて直販でした。
例えばコカ・コーラなど缶物であれば工場では一缶22円(一ドル100円として)で売っていますが、それに対してコストコは10%の粗利で25円前後、またウォルマートなどスーパーでは50%の粗利をのせて35円前後、そしてセブンイレブンなどの小売店は3倍の75円で売られています。小売定価は詐欺の様に感じました。
また、情報についても同様で、ある設計士が現場調整をした大工チームに対し、出入り禁止にしました。理由は、施工図面以外の工事をするとその建物の補償が出来なくなるからです。日本ではライン図があっても、すべて現場調整では家が安くなるのも理解できます。

アーケディア市に住むと、基本的には野外でのバーベキューの家庭内パーティで、夫婦と子どもたちの参加が求められます。

そこで「山本さんはアメリカが好きですか」と言われたので、私は「いいえ、拳銃を背に平和、人権、そして民主主義と言われても、どうしても上目線に聞こえてしまいます。ただ言っていることは同感しますが、私は子どもたちにグルーバルな思考、グローバルなネットワーク、そしてその基本ソフトのネイティブな英語が欲しかったのです。」と言いました。そうすると、「山本さんのような日本人は、アメリカでは千人前後ですが、韓国人は数倍、中国人(華僑)は数十倍います。この人達はアメリカではオピニオンリーダーすなわち、子どもたちの未来に対する責任ある発信者です」と言われました。

日本のオピニオンリーダーの意味とはだいぶ違いますが、そう言われました。

当時日本はジャパンアズナンバーワンと言われていましたが、韓国、中国に日本は負けると100%確信をしました。

バーベキューパーティーでは、いろいろな事が話題になりました。特に私のような者で北海道出身者に興味がある様で、「今後日本をそしてアジアを救うのは北海道」とも言われました。

また、二次産業の次は三次産業が必然で、二次産業で豊かになった国民は、子どもに英才教育、すなわちお受験の世界になります。また医療にお金を出すと、必然的に平均年齢は長くなります。これが少子高齢化社会では、子どもの英才教育によって、巷で言う「頭でっかち」、「がり勉」などの子どもたちが多くなってしまいます。
この子どもたちの特徴は、得意分野は人並み以上の能力を発揮しますが、それ以外の分野では思考停止をしてしまうことです。また頭だけを鍛えても、子どもの殖産には向かないとも言われています。子どもの殖産は体を鍛えなければなりません。
東京オリンピックでもパリオリンピックでも数万個の大量の避妊薬が配られました。

教育の基本を改めて学ぶ

アーケディア市の教育の基本は、英才教育と同時に楽しく体を鍛えること。
裏庭では年齢の上下なく、子どもたち同志で遊ぶことが大事と言われていました。
そのため住宅地は、一軒当たり最低でも2,000㎡で、裏庭が1,000㎡です。
これは日本の平均的児童公園と同じ広さと言われました。そこでほかの友達の兄弟姉妹達と遊ぶことで、仲間の絆や人に寄り添うことを学ぶのです。
幼児は同年代の繋がりではなく、アーケディアには保育園しかありませんでした。
ただし6歳になると「キンダー」といって午前中は小学校に行きます。現地ではこれが幼稚園と言っていました。そして市民が豊かになると、教育の他に医療にもお金が行きますのでその結果高齢化が進みます。すなわち、国民が豊かになると必ず起きるのが「少子高齢化」で、これは国が豊かになった証です。
しかし、老人が多くなることにより、国の老人に対する福祉予算のため国庫が破産をし、保険制度が崩壊にむかうようです。同時に老人にとっても、病院は決して良いところではなく、そのため人間ドックなどのテータを元に未病対策が必要です。
この時、「アジアの医療は素晴らしい」と言われました。この未病対策は自分自身が、お医者さんとなります。また、未病対策の最も効果的ことが、「社会参加をする」ことです。そのため、「50歳過ぎてからファーストライフでプロフェッショナルになること」と言われました。これが三次産業の情報化の実態でした。

55歳からシニアと言われ、その前後からファーストライフすなわちプロフェッショナルで社会参加です。日本ではセカンドライフといって趣味の世界で、あまりにも違いで愕然としました。

1992年には、ロサンゼルスのウィルシャー地区で大きな暴動がありました。この地域は低所得者の人達の町で、家賃は使用契約すなわち家賃は無料でした。
その地域に朝鮮戦争の前後から、朝鮮の人たちが住みはじめました。この地域の向かい側はハリウッドで、隣がビバリーヒルズです。
朝鮮の人達は頑張って働き、生活が向上してくると黒人の人達が住んで建物を、持ち主に家賃を払い黒人を追いだしました。

日本の儒教では「恨みは豊かになったら忘れろ」と思っていましたが、これは「論語」で、本当の「儒教」では恨みは豊かになったら潰す、豊かになったら黒人を追いだし、結果、黒人から恨まれて「迫害」を受けたようです。

バンクーバーに移住

ちょうど1990年頃、コリアンが豊かになってきたので、黒人に恨みを返した結果、黒人とコリアンの喧嘩となり1992年に大きな暴動となりました。その結果ハリウッドのシングルマザーの人達が仕事で一週間、二週間地方に行っている間に、自宅で子供たちが事件に巻き込まれるのを危惧し、自宅をバンクーバーに移しました。カナダはアメリカと異なり拳銃の所有は禁止されており治安は良かったです。
バンクーバーの公立学校は高校まですべて無料、また医療も病院代は無料ですが薬は全額患者負担です。しかし税金を払わなければ無料になりません。そのため移住しようとする人たちは永住権を取りますが、その分税金の使い道にはシビアでいろいろ行政に注文を出します。バンクーバーはカナダで一番暖かい場所のため、トロントなどの東海岸の地域の人達が老後に住む町でした。また東海岸の工業団地よりバンクーバーへコンテナで荷物を運び、アジアに出荷する流通の町でした。私もロサンゼルスがあまりにも治安が悪いため、シングルマザーを見習い1993年の8月に引っ越しをしました。当時バンクーバーはまことに暗い町で、子どもたちからは総スカンをくらいました。しかし移ってきた目的は教育ですので、行政の努力でみるみる教育環境が良くなりました。

また同時に香港の人達も1997年に香港が中国に返還になるため、バンクーバーに家を建てて子供と母親を避難させました。10年で5,000億円の投資をしたと言うことです。

ウィスラーの別荘地は見事です。

バンクーバーは驚くほど情報が少なく、遊ぶ話ばかりでしたので、時々ロサンゼルスに行って、これからのアジア、日本、そして世界の話をよくしてきました。在日韓国人で、ロサンゼルスの大学の教授ともよく話をしました。
彼がすごく残念がっていたのは、ウィルシャーで暴動があった場所は危険で、保険の入れない場所だったそうです。そこで、韓国人の方々が30年かかって築いた富が、一夜で崩壊してしまったというのです。
本当の儒教は富になって、恨みを返す考えが大きなエネルギーとなって頑張れると言っていました。また日本はアジアの先発となって二次産業で発展しましたが、はたして三次産業にいつ入れるか。90年のバブル崩壊が二次産業の終わりです。
英国は二次から三次に入るのに40年、アメリカは1970年~1990年の20年に二次から三次に入りましたが、日本はどれだけかかるかわかりません。
日本の動きで東アジアは大きく変化する。そのためには二次産業の特徴である支店経済、組織産業、そして大企業など集中から分散、すなわち支店経済の崩壊をしなければなりません。直販により物価は半値になり、情報はプロフェッショナルから一般個人が買うことができるようになります。
これは所得倍増となり、組織の効率化により人材があふれ、同時に起業が盛んになると言われました。ロサンゼルスでは、北海道が日本を救いそしてアジアを救うとよく言われていました。その理由は、世界で唯一儒教を元にした新世界で、他省者、先祖伝来、いっ血主義など知的差別が少ない地域だからです。

北海道でミッションを果たしたい

バンクーバーに住んで初めてその意味が分かりました。実際に住んでみた体験したのは、白人からは中国やインドは二流国家と上目線で見られたことです。しかし、中国もインドも急激な発展をするとアジアに対する反発からか、日本を「イエロー」と見下すようになりました。
シンガポールの子どもと母親の移住者からは、「北海道でバンクーバーの代わりができないか?」と言われたこともありました。その時ロサンゼルスで言われた「北海道の未来」が理解できました。バンクーバーで「ハーバードのプラットホーム」と言われたことがあります。

ハーバード大学は入学試験がありません。内申書と面接で入学が決まります。グローバルな思考とネイティブな英語を手に入るためには、自国の教育では難しいので海外で教育を受けます。この人達を、ハーバード大学では優先的に入学させます。
ハーバードのプラットホームは、基本的に18歳からであればどこかで勉強をしたはずで、私はこれを古里のプラットホームと思っています。しかしこのためには条件があり、2,000㎡の住宅地とインターナショナルの義務教育が必要となります。
北海道ができるでしょうか。
そのために「花さかじいさん友の会」を作り、この命題に挑戦しようと思っております。

花さかじいさん友の会 設立者
山本 勤

arrow_circle_up